願いと想いと…

願いと想いと・・・ 金川 健太かねがわ けんた/代表取締役


  •  これが僕の願いと想いです。
    旧白根町で生まれ育ち、小学生の頃より始めたフィールドホッケー。
    中学校以降の各年代にてチームの主将をつとめさせていただいた経験から、自分がやらねばという責任感が身につきました。その想いは誰よりも強いと思っています。
    白根高等学校在学時には、山梨県勢初の全国大会優勝を含む、全国制覇を2度経験しました。
    夏のインターハイ優勝を果たした後、山梨に帰り、役場の前でバスを降りると、時の町長さんはじめ、沢山の町の方達が出迎えてくださいました。町を挙げて僕等のことを応援して下さっていた姿に、自分たちは凄いことをやったのだと思うと同時に「いつかは自分がこの町に恩返しをしたい」という気持ちが芽生えました。

  •  恩返しの手段として自分が選択したのは、指導者(学校の教員)としてここに帰ってくることでした。自分が出来るのはホッケーしかありませんでしたから、この地にホッケーというスポーツを根付かせたい。そしてその指導を通して将来ある後輩たち(子供達)がしっかりと自分の夢に向かって進んでいける強い気持ちを育てることができたら良いと考え、進学先も教員の道を選択できる早稲田大学人間科学部スポーツ科学科を選び、教員への道を志しました。
     しかし教員への道は厳しく、教員採用試験にパスする事が出来ませんでした。
    夢破れて就職先を探している時、父から県内のあるグループ企業を勧められ、どうせやるならとテレビアナウンサー試験を受験してしまいました。試験は意外にも順調に進みましたが、やはりその道を本気で目指す学生には勝てず不採用となった時、不思議と挫折感はなく、逆に就職活動も殆どせずにスポーツばかりに打ち込める環境を与えてくれた両親に感謝の気持ちが湧いてきました。

     そして次に、父からHondaグループはどうだと、東京のHonda販売店を紹介されました。もともと「会社を継ぐことは考えなくて良いから、自分のやりたいことをやれ」と言っていた父からHondaグループを紹介されたのは、とても驚きでした。今考えると父も相当心配していてくれたのだと思います。
  •  父の力添えによって内定はいただいたものの、どうしても教員への夢を捨てきれないでいました。そんな時偶然にも山梨県の中学校教員で、期間採用の枠があるという連絡を受けました。
    父には大変申し訳ない気持ちは持ちながらも、どうしても自分の夢を捨てられないと素直に話し、韮崎市立韮崎西中学校へ体育科の期間採用教諭として赴任。残念ながらホッケー部は無かったので、得意領域を活かせませんでしたが、沢山の生徒達や、とても良い同僚の先生方に囲まれて、毎日が楽しくて仕方ない一年を過ごすことが出来ました。やはり自分はこれがしたかったのだと…。
     しかし時を同じくして父の病状が悪化。
    救急車で搬送された山梨大学医学部附属病院にて、突然の余命宣告を受け、自分の人生に大きな転機が訪れました。
    偉大な父と比較されるのが目に見えていましたから、同じ職に就く(家業を継ぐ)ことは、出来れば避けたい。出来るだけ先延ばしにしたいと逃げていました。
    しかし一方で、父が一代で築き上げたこの会社を誰かにお願いする訳にもいかない。長男の責任として自分がやるしかないという気持ちがあり、これまで自由に育ててくれた父へのせめてもの恩返しだと、会社を継ぐことを決意しました。
    父は死をもって僕の退路を断つことを最後の仕事としたのかも知れません。
  •  そんな想いで会社に入社した僕は、最初から周囲に認めてもらおうと必死で努力を続けてきました。
    最初の数年は、とにかく台数を上げること。沢山車を売ることが自分を認めてもらえる唯一の手段だと考えて、父の代からのお客様を回りました。その際「お前の親父はこうだった」という話を嫌と言うほど聞かされ、やはり比較されているなと少々悲観的になる時もありました。
    しかし時が経つにつて、それもお客様が僕に期待してくれているから、当社に期待をしてくれているからと考えられるようになりました。  考え方が変わると、見えてくる景色が違ってきます。
    こうして当社を支えてくださっているお客さまに、会社として何かできることはないかと考えるようになりました。
    自分の強みはこの町で生まれ育ち、仕事を超えた部分でお付き合いをさせていただいている方がたくさんいることです。
    仕事だけのお付き合いでしたら、その場だけという割り切った対応になってしまいがちですが、地域の一員として考えるとそうはいきません。
    車をきっかけとして始まったお付き合いや、お付き合いから車を購入していただく方。どちらも大切にしたいですし、同じ地域に住む仲間として、この地域がもっと住みやすくなったら良いと思うようになりました。
    自分には何が出来るのかと考えながら仕事をしていると、次の転機がやってきました。
  •  結婚をして一人目の子供が生まれた時、所謂ママ友達が子供を連れていく場所がない。
    少しだけ子育ての手を休めて時間を過ごせる場所がないと話をしているのを聞いて、「これだ」と思いました。
    車の販売店は、立派なショールームを構えていますが、平日の昼間は殆ど来店客はありません。そこを有効活用すれば、お母さん達が少しでも楽しく子育てをするお手伝いができるのではないかと思いました。
    お母さんの子育てストレスが軽減することは、家族への接し方も変わってきます。
    家庭が楽しくなれば、子供達も真っ直ぐに育つのではないか。
    また、昨今希薄になっていると言われる地域の繋がりですが、この場所にきて一緒に楽しい時間を過ごしながら御母さん同士が繋がり、子育ての情報交換をしながら、地域ぐるみで子育てをしていける環境作りのお手伝いができたら、僕が考えていた地域への恩返しが形になるのではないかと考えて、これに取り組むことを決めました。
    その活動を支援してくださるNPO法人の方との大切な出会いもあり、現在まで約10年間順調に活動を継続しています。
    また、この活動を何故車屋である自分たちがするのかということについても考えました。独りよがりの活動にならないためには、社員にも分かってもらう必要があります。
  •  山梨県は公共交通が殆ど無いと言ってもおかしくない場所です。
    毎日の通勤や、買い物等には必ず車を使用します。
    それは子育て中のお母さんも一緒ですが、こと女性は車には詳しくないのが一般的だと思います。
    車の購入に対して決定権は持っているとしても、購入した後のメンテナンス等はお父さん任せという方は少なくありません。また、車のディーラーという場所には何故か敷居の高さを感じて、購入後は足を運び辛いという意見も聞かれました。
    お父さんは仕事をしている間は動くことが出来ませんから、その間に何かあったとしても対応が出来ない状態です。そんな時僕たちを呼んでくれるかどうか。それは普段から深いお付き合いをさせていただいているかどうかで違うのではないかと思います。

     その為に当社が足を運びやすい場所であること、そこで働く人の顔が見えることは重要なのだと思います。そして幸いにも当社の社員は揃って人の良い、優しい人間が揃っていますので、声さえかけてくれれば、直ぐに動ける。というのも強みの一つです。
    だからこそ当社がこの活動をすることに意義があり、車を通して地域に溶け込んでいくことに繋がっていると考えています。
  •  格好の良いことかも知れませんが、車屋という仕事を、ただお金儲けのための手段として使いたくないと思っています。何故なら僕たちは地域で顔の見える商売をさせていただいているから。ずっとこの地域に暮らしていく者として、短期的に売り上げだけを伸ばそうとする仕事では、地域の信頼を得ることは出来ないと考えているからです。
    ですからお客様のことを思い、時には「今買うべきではない」なんてアドバイスもしたりします。

     先代である父がこの地元で開業し、30年かけて得てきた信頼を更に強いものにしていくため、縁あって集ってくれた仲間達と一緒に「何でも相談できる車屋さん」を目指していこうと思っています。





    Honda Cars 峡西
    株式会社 ホンダショップ山梨
    代表取締役 金川 健太